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母を10年介護して思うこと。親の死と、その先にある相続

この夏、親を亡くしたという話を何度か聞きました

こんにちは。仙台みらい不動産の真壁です。

この夏、私のまわりでも「親が亡くなった」という話を何度か聞きました。

病院で亡くなった方もいれば、施設で亡くなった方もいます。

不動産の仕事をしていると、「相続」という言葉を日常的に使います。でも、その前には親の老いがあり、病気があり、介護があり、そして家族としての看取りがあります。

今回はいつもの不動産の話を少しお休みして、私自身が経験した母と父、叔父の介護と相続について書いてみようと思います。

母を10年介護して思うこと。親の死と、その先にある相続

母を10年間介護しました

母は64歳のとき、重い脳出血で突然倒れました。

1か月ほど意識が戻らず、ようやく回復したときは「生きていてくれただけでよかった」と思いました。

しかし、左半身麻痺と構音障害、高次脳機能障害が残り、要介護5となり、障害者となりました。

そこから10年間の介護生活が始まりました。8年間は自宅で、最後の2年間は施設で過ごしました。

当時、姉は独身で会社員。私は結婚して埼玉県に住んでいました。

私は仕事を辞め、仙台と埼玉を行ったり来たりし、姉は仕事を続けながら母を介護しました。

その後、私に子供が生まれ、行き来することが難しくなりました。夫が転職してくれたことをきっかけに家族で仙台の実家に戻り、子供を保育園に預け、私は自宅でできる仕事をしながら母を介護しました。

介護サービスは利用できるものを目いっぱい使いました。

それでも家族の負担は相当なものです。特に姉はフルタイムで働きながら夜も母をみていたので、ほとんど眠れていなかったのではないかと思います。

「この介護は、いつまで続くんだろう」

介護でつらかったことの一つは、出口が見えないことでした。

特別養護老人ホームにも申し込みましたが、なかなか順番は回ってきません。最終的には有料老人ホームに入所してもらうことにしました。

母が倒れたのは64歳。8年間介護しても、まだ72歳です。

「あと10年くらいは生きていてくれるだろう」

そう思っていました。

ところが、施設に入ってからわずか2年ほどで母は亡くなりました。

あれだけ「介護はいつまで続くんだろう」と思っていたのに、終わってしまうと、あっけないものでした。

父は少しずつ弱っていきました

父の場合は母とは違い、少しずつ体が弱っていきました。

外を歩くことは難しくなりましたが、家の中では自分で歩き、用意した食事も自分で食べていました。転倒が増えたため、お風呂のためにデイサービスを利用していました。

その後、誤嚥性肺炎や心不全で何度も入院し、徐々に食が細くなり、体力も落ちていきました。

やがて施設に入所し、父も2年ほどで誤嚥性肺炎にかかり亡くなりました。

父の相続は、元気なうちから準備しました

母にはほとんど財産がなかったため、相続で困ることはありませんでした。

一方、父は母の死後に入籍した人がいたため、相続が複雑になる可能性がありました。

そこで、父が元気なうちに公証役場で公正証書遺言を作成しました。

一度作って終わりではなく、数年後、状況が変わったときには父の意思を確認して内容を書き換えました。

また、父が自分で財産管理をすることが難しくなった場合に備えて、財産管理等委任契約も公証役場で結び、姉に財産管理を任せました。

もう一つ、父が準備してくれていて良かったのが生命保険です。

父が亡くなった後、生命保険金は比較的早く受け取ることができました。

死亡保険金には、一定の要件を満たす場合、相続税について**「500万円×法定相続人の数」**という非課税限度額もあります。

詳しくは、国税庁「相続税の課税対象になる死亡保険金」をご覧ください。

父の場合は、公正証書遺言、財産管理等委任契約、生命保険と、生前に準備をしていたことで、亡くなった後の相続も大きな問題なく終えることができました。

叔父の介護と看取りも経験しました

母の弟である叔父も、脳梗塞で突然倒れました。

叔父は若いころに離婚し、娘がいましたが音信不通でした。そのため、姪である私が入院の手続き、お見舞い、洗濯、退院後の施設探しなどをすることになりました。

成年後見人の申立ても行い、成年後見人は弁護士にお願いしました。

その中でも一番重かったのは、叔母と一緒に叔父の看取りについて決断したことでした。

5,000円のうち3,000円を、お年玉に

叔父が倒れる前のお正月、まだ小さかった私の娘に3,000円のお年玉を持ってきてくれました。

叔父が倒れた後、身の回りのものを確認していて分かったことがあります。

叔父は自分の持ち物を質に入れ、5,000円を受け取っていました。

そのうち3,000円を、私の娘のお年玉として持ってきてくれたのです。

叔父は実際、満足に食事もしていませんでした。

自分の手元には2,000円しか残らないのに、それでも小さな姪にお年玉をあげたかったのでしょう。

今でも、このことを思い出します。

「関係ない」と言われた叔父の相続

叔父が亡くなったことを娘さんにも知らせました。

返ってきた言葉は、

「関係ない」

でした。

その後、娘さんは相続放棄をしました。

叔父には小さなマンションと少しの預貯金、過払い金がありました。

叔父が借金を重ねた理由の一つは、別れた娘さんに仕送りをするためでした。

自分は満足に食べることもせず、持ち物を質に入れながら娘にはお金を送っていた。そのことを知っていただけに、いろいろと思うところはありました。

ただ、親子の間には、周りには分からない事情もあったのだと思います。

娘さんが相続放棄したことで、最終的には私と姉、叔母が叔父の財産を相続しました。

母を10年介護して思うこと。親の死と、その先にある相続

相続したお金で、母の実家の墓じまいをしました

叔父は、母の実家に残った最後の人でもありました。

そこで、叔父から相続したお金は、母の実家の墓じまいに使いました。

樹木葬をお願いする費用、これまでのお墓を撤去して更地にする費用、それまで未払いだったお墓の掃除代、これまで檀家だったお寺へのお布施など、かなりのお金がかかりました。

それでも、叔父が残してくれたお金で、母の実家のお墓まできちんと整理することができました。

私にとって叔父の相続は、「財産をもらった」という感覚とは少し違います。

残されたものを引き継ぎ、最後にやらなければならないことまで終える。

そこまで含めて相続なのだと思いました。

そして最近、義母が亡くなりました

つい最近、義母が亡くなりました。

そこで分かったことがあります。

義父の資産について、どこの銀行にいくらあるのか、どこの証券会社に何があるのか、息子である夫も、その妹も全く把握していませんでした。

私自身、これだけ介護や相続を経験してきましたが、家族が違えば事情もまったく違います。

親が元気なうちは、子供もなかなか、

「貯金はいくらあるの?」

「株はどこに持っているの?」

とは聞きにくいものです。

親の側も、まだ元気なのだから話す必要はないと思っているのかもしれません。

でも、病気になったり認知症になったりしてからでは、確認すること自体が難しくなる場合があります。

金額まで細かく家族に知らせる必要はないのかもしれません。

少なくとも、どこの銀行と取引しているのか、証券会社はどこなのか、生命保険はあるのか、不動産は何を所有しているのか、大切な書類はどこに保管しているのか。

それくらいは、元気なうちに家族で共有しておいた方がいい。

義母が亡くなったことで、改めてそう感じています。

相続は、人が亡くなって突然始まるものではない

母、父、叔父、そして今回の義母のこと。

家族によって、介護も看取りも相続もまったく違います。

介護をしている最中は、目の前のことで精いっぱいです。

私も母を介護しているときには、

「いつまで続くんだろう」

と思いました。

でも母が亡くなったときには、

「あと10年くらい生きていてくれると思っていたのに」

と思いました。

人がいつ亡くなるのかは分かりません。

だから私は、相続は、人が亡くなった瞬間から突然始まるものではないと思っています。

親が元気なうちに家族で話をする。

必要なら遺言書を作る。

財産を管理できなくなったときのことを考える。

生命保険を確認する。

預貯金や株、不動産など、何をどこに持っているのか分かるようにしておく。

こうしたことも、すべて相続の準備なのだと思います。

普段は不動産のことを書いているこのブログですが、今回は少しお休みして、私自身の家族の話を書いてみました。

今まさに親御さんを介護している方、最近大切な方を亡くされた方、そして「うちはまだ大丈夫」と思っている方にも、これからのことを少し考えてみるきっかけになればと思います。

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